「我々を裁いた者に災いを」 火刑に処されたテンプル騎士団最後の総長“ジャック・ド・モレー”の呪い

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Workshop of Virgil Master(British Library, Royal MS 20 C vii/Public Domain)

 1314年3月18日、パリ・ノートルダム大聖堂の前で一人の男が炎に包まれた。彼の名はジャック・ド・モレー。テンプル騎士団の最後の総長であり、拷問と屈辱の果てに火刑台へと送られた悲劇の英雄である。

 しかし、この物語はただの処刑では終わらない。彼が死の間際に放った「呪い」が、その後のフランス王室と教皇に恐ろしい災厄をもたらすことになったと言われているからだ。

英雄から異端者へ:テンプル騎士団の没落

 テンプル騎士団は1129年に創設され、十字軍遠征での活躍や近代銀行システムの基礎となる金融管理によって、中世キリスト教世界で絶大な権力と富を築き上げた。ジャック・ド・モレーもまた、1293年から1305年にかけてイスラム教徒に対する遠征を指揮し、エルサレムに入城するなど輝かしい戦果を挙げた。

 しかし、その強大な力は時の権力者たちの警戒心を招いた。多額の借金をテンプル騎士団に背負っていたフランス王フィリップ4世(美男王)は、借金の帳消しと騎士団の解体を画策。教皇クレメンス5世と結託し、1307年にド・モレーと騎士たちを一斉に逮捕させたのだ。彼らにかけられた嫌疑は、聖十字架への冒涜、聖職売買、そしてバフォメットやルシファーといった悪魔への崇拝など、身に覚えのない罪ばかりだった。

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ジャック・ド・モレー Bibliotheque Nationale de France, パブリック・ドメイン, リンクによる

炎の中で放たれた最期の呪い

 過酷な拷問の末、ド・モレーは一度は罪を認めたものの、後にそれを撤回。処刑当日、彼は公衆の面前で騎士団の無実を叫んだ。「神は誰が過ちを犯し、罪を犯したかをご存知だ。我々を不当に断罪した者たちには、まもなく災いが降りかかるだろう」と。

 伝説によれば、彼は死の直前、フィリップ王とクレメンス教皇を名指しで呪ったという。「神は我々の死の復讐を果たすだろう。間違いなく、我々に敵対するすべての者が苦しむことになる」。そう言い残し、彼は炎の中に消えていった。

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By Unknown author – 19th century print. Reproduction in “An illustrated history of the Knights Templar”, James Wasserman, Public Domain, Link

呪いは現実になったのか?

 不気味なことに、ド・モレーの予言はすぐに現実のものとなった。彼を死に追いやった教皇クレメンス5世は、処刑からわずか1ヶ月後に急死した。そして、陰謀の首謀者であったフィリップ4世もまた、その年の暮れに狩猟中の事故で命を落としたのである。

 このあまりに早い二人の死は、テンプル騎士団の呪いが成就した証として、中世の人々を震え上がらせた。莫大な富と権力を誇った騎士団の栄光と、それを葬り去った者たちの無惨な末路。ジャック・ド・モレーの呪いは、歴史の闇に深く刻まれている。

参考:The Ancient Code、ほか

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