社会の敵ランキング1位・最凶の麻薬王エル・チャポの「大脱獄劇」! 彼の生き方、逃げ方、メキシコの闇(総まとめ)
■チャポの生い立ち
チャポは1950年頃から大麻栽培で有名だったメキシコのシナロア県バディラグアトにて大麻農家を営む父エミリオの10人兄弟の4男として1957年(または1954年)に生まれる。
3人の兄はチャポが幼少の頃に他界し、チャポが2人の妹、3人の弟を率いる実質的な長男として家族の生計を支えていた。体つきは小さく、大人になっても身長155cmと小柄であったことから、あだ名は「チャポ」(ずんぐりむっくりという意味)と呼ばれることになる。
幼少時のチャポの生活についてはほとんど知られていないが、物心ついた頃にはオレンジ売りとして生計を助け、15歳の頃から利幅の大きいマリファナの栽培と販売を開始し、その後、近郊のクリアカン市で麻薬販売に手を染めることになっていった。
80年台には当時メキシコでも有数のコカイン密売組織のリーダーであったミゲル・フェリックスと共にコカインビジネスに進出。この組織は後に「グアダラハラ・カルテル」と呼ばれることになるが、89年にミゲル・フェリックスが逮捕されたことを機に、組織はミゲルの弟アレジャーノが後継者となり「ティファナ・カルテル」を。チャポは生まれ故郷のシナロアに戻り「シナロア・カルテル」を立ち上げる。
当時のチャポ本人の様子をメキシコ検察は、「大人しく礼儀正しい。小柄な体格に見合わず人を惹きつけるカリスマにも恵まれており、生まれた環境が違えば大企業の社長になるような器」であったと評しており、同時に彼のカルテル運営手腕を「非常に計算高く狡猾、そして慎重かつ大胆」であるとも評している。
そして、シナロア・カルテルは中米から北米に至る巨大なコカイン市場を手中に収め、中南米各国に計200社以上ものマネーロンダリング用のフロント企業を立ち上げ、アメリカ大陸最大の犯罪組織と発展していく。
■チャポ 最初の逮捕と脱獄
今回の脱獄事件よりもはるか昔、チャポは一度逮捕され、そして脱獄を成功させている。シナロア・カルテルを立ち上げたチャポは、袂を分かったフェリックス兄弟のティファナ・カルテルと激しい抗争を繰り返すが、1993年にチャポがグアテマラで逮捕されたことで状況は大きく変わる。95年に身柄をメキシコに移され、警備レベル最高クラスのプエンテ・グランデ刑務所に収監されるが、当時から新麻薬王としての影響力と財力を駆使し、刑務所内では特別扱いを受ける。
当時チャポの刑務所内での呼称は「ボス」「ドン・ホアキン」といった敬称であり、刑務所内で自由に携帯電話を使ったり、報道関係者向けの記者会見を行なったり……と、別格の扱いを受けていた。また、収監中に知り合った女性スレマ・エルナンデスと結婚し、子どもを何人か授かったと言われている。(たが、スレマは2008年に対立組織に殺害されている)
逮捕後8年がたった2001年1月18日、チャポは刑務所内に出入りする清掃業者のトラックに身を隠して脱獄に成功する。この際、チャポ以外にも71名が脱獄に加わっており、しかもそのうち15名は刑務所職員でチャポに抱き込まれた刑務官であった。
この脱獄に対してメキシコ政府はあらゆる手段でチャポとその関係者を追い詰める。特に、チャポの家族親族をターゲットとし、これまでのチャポの妻スレマをはじめ家族4名が警察・軍や対抗組織の手によって殺され、4名が逮捕されている。
さらに、メキシコ政府はチャポ逮捕の報奨金として3000万ペソ(約2億円 ※2012年当時)、アメリカ政府は700万ドル(約6億3千万円 ※2012年当時)の賞金まで用意した。
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2024.10.02 20:00心霊社会の敵ランキング1位・最凶の麻薬王エル・チャポの「大脱獄劇」! 彼の生き方、逃げ方、メキシコの闇(総まとめ)のページです。麻薬、脱獄、ラウタ郎、エル・チャポなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで