実在した『ベルばら』のオスカル的な英雄を亜留間次郎が解説! アメリカ独立戦争の雄、カジミール・プラスキ将軍は男装の麗人だった!?

 フランチシュカが女騎兵となったのは、公爵家がロシア帝国に侵略され愛する坊ちゃまを守るために、しかたなく騎兵の真似をしたのではないのでしょうか。結果として公爵家をロシアの魔の手から救った英雄と称えられることになりますが、そのまま女であることを隠して騎兵として戦ったが、善戦むなしくポーランドもクールラント公国も滅亡してしまいます。やむなくザクセンの親戚の家に居候することになりましたが、ここでやっと貴賤結婚の例外として、公式に神聖ローマ帝国皇帝とザクセン王家からクールラント公爵夫人と認められたのです。

画像は「Wikipedia」より引用

 敗戦から渡米までの5年弱の間、プラスキ将軍がどこで何をしていたのか不明な空白期間が存在します。

 フランチシュカとカールの間には、この期間に2人の間に娘が生まれています。プラスキ将軍を辞めて、クールラント公爵夫人フランチシュカに戻り、戦場から離れて夫と二人で田舎でのんびりと暮らしていたと推測できます。

 親戚に食わせてもらっている名前だけ公爵家の卑しい公爵夫人になったフランチシュカですが、何とかクールラント公爵家のお家再興を果たそうと考えていました。その末にたどり着いたのが、新大陸アメリカに渡り、領土をぶんどってクールラント公国を再建する計画です。

 再びプラスキ将軍となったフランチシュカは夫と娘をザクセンに残してフランスに渡り、新大陸行の船に乗ることに成功して渡米したと思われます。

 余談ですが、『ベルサイユのばら』の主人公オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェは1773年に近衛連隊大尉になっていました。こちらは架空の人物ですが、オスカル様が男装の麗人として軍人をやっていた時期と、プラスキ将軍がフランスでアメリカ行の手段を手に入れた時期がぴったり一致します。

 オスカル様 1755年12月25日 – 1789年7月14日
 プラスキ将軍 1746年3月4日 – 1779年10月11日

 面白いことに、この2人はプラスキ将軍が9歳年上ながら、完全に同時代の人物なのです。フィクションなら出会っていたのかもしれません。

 渡米したプラスキ将軍はアメリカ独立戦争で戦い、指揮官として多大な戦果を上げましたが、1779年10月の戦闘中に撃たれて戦死します。もしも、戦死しないで騎兵将軍としてアメリカ建国宣言の場にいたら、アメリカにクールラント公国が誕生していたかもしれない歴史のIFがあるのです。

画像は「Wikipedia」より引用

 アメリカ独立の英雄であるプラスキ将軍にちなんだものは現在も数多く残っており、プラスキという地名は全米各地に存在します。クールラント公国が誕生していたら現在はアメリカ合衆国クールラント州になっていたかもしれません。

 プラスキ将軍はアメリカ合衆国建国前に戦死しているために、国籍はポーランドのままでしたが、後に議会でアメリカ市民と公認されています。

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