実在した『ベルばら』のオスカル的な英雄を亜留間次郎が解説! アメリカ独立戦争の雄、カジミール・プラスキ将軍は男装の麗人だった!?
■プラスキ家はどんな家系だったのか?
父親とされるヨゼフ・プラスキ(Józef Pułaski)は1704年2月17日生まれで1769年に死亡しています。実の父親だとすると、1746年産まれのプラスキ将軍は42歳の時の子供ということになりますが、貴族の当主に42歳まで長男が生まれなかったというのは不自然です。当時の貴族に40歳になっても子供がいないのは、家系が断絶しかねない非常事態だからです。
何かの原因で奥さんが子供産めなかった場合、離婚は宗教的に禁止されていたので、病死(毒殺)させて再婚する以外に選択肢のない中世残酷社会でした。10代後半の結婚出産が珍しくなかった当時なら、この親子の年齢差は祖父と孫でもおかしくないほどです。
そして、プラスキ家とフランチシュカの実家であるクラシンスカ家は同じクラシッチ一族に属しており、遠い親戚関係にあります。日本で言えば、戦国時代に「自分は源氏の血筋」だと言っているような物で、漠然としたポーランド騎兵一族と言った感じです。
紋章を見ると、プラスキ家とクラシンスカ家は両方とも、クラシッチ一族の紋章の一部を受け継いで作られた同じ紋章を使用しています。両家ともクラシッチ紋章の右下にある青地に蹄鉄の上に乗ったゴイサギの鳥を継承した紋章になっています。
ポーランドの紋章というのは日本の家紋より厳しい管理が行われており、身分証明書として国家による厳密な管理を受けていました。両家が同じ家紋を使っていたことは、同じ祖先を持つ親戚関係にあることを証明しています。
■男装の麗人・プラスキ将軍の正体は?
著者はフランチシュカ・クラシンスカとプラスキ将軍が同一人物だった説を考えています。
フランチシュカはプラスキ将軍よりちょうど4歳年上ですが、戦争突入時に性別をごまかすため、年齢を若く詐称した可能性が考えられます。
クールラント公国の次期公爵になるはずだったカール坊ちゃまの専属メイドにして愛人のフランチシュカと同一人物という説を採用すると、メイド+男装の麗人+女騎兵+クールラント公爵夫人+アメリカ軍将軍と設定メガ盛りになります……。
証拠の一つが前述した家紋です。フランチシュカの実家であるクラシンスカ家の家紋とプラスキ将軍の家紋が全く同じで、親戚関係だったのかもしれませんが、これは偶然なのでしょうか? クールラント公爵家の御曹司のカールと身分違いの恋に落ちたメイドと考えれば辻褄が合います。
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2024.10.02 20:00心霊実在した『ベルばら』のオスカル的な英雄を亜留間次郎が解説! アメリカ独立戦争の雄、カジミール・プラスキ将軍は男装の麗人だった!?のページです。米国、ポーランド、カジミール・プラスキ、米国独立戦争、騎兵などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで