実在した『ベルばら』のオスカル的な英雄を亜留間次郎が解説! アメリカ独立戦争の雄、カジミール・プラスキ将軍は男装の麗人だった!?
■本物のプラスキはニートの叔父さん?
ところで、フランチシュカが素性を隠して男性になりすましたのであれば、「カジミール・プラスキ」という名前はどこから来たのでしょうか?
フランチシュカの実家であるクラシンスカ家には、戦争で大怪我して右腕が不自由になって親戚の家に居候していたニートの叔父さんがいたらしいのです。当時の軍人には何の保証制度もないので、大怪我して働けなくなると親戚の家でニートになるのが珍しくありませんでした。
女性でも乗馬を普通に行っていた騎馬民族なので、ポーランド貴族であったフランチシュカも幼少期から乗馬が出来たと考えられます。
当時は軍将校を教育する士官学校などなく、軍人としての訓練は連隊に入ってから連隊ごとにバラバラのやり方を、現場で覚えるのが普通でした。
ここでプラスキ将軍の謎がひとつ。突然現れた20代の若い騎兵将校が、卓越した能力で騎兵部隊を指揮、ポーランドとアメリカの両方で絶大な戦果を挙げ、その軍事技術はそのままアメリカ騎兵隊のマニュアルになりました。だからこそ「アメリカ騎兵の父」と呼ばれているのですが、プラスキ将軍=フランチシュカに騎兵戦術を教えたのはいったい誰なのか?
その先生こそ、元騎兵でクラシンスカ家に居候していたニートの叔父さん「カジミール・プラスキ」だったのではないでしょうか?
つまり、ニートの叔父さんは暇なので、親戚の娘と騎兵ゴッコをして遊んでいたのですが、その遊びがガチの騎兵戦術そのもので、騎兵一族の血筋に生まれたフランチシュカの騎兵の才能を開花させてしまった可能性が考えられます。
「さあフランチシュカ、敵の気配を感じたら縦列から横列に陣形を変えるんだ、そして敵の気配が近くなったら「接敵速歩初め」「抜刀」と号令をかけて皆に突撃の準備をさせながら前進して敵の姿が見えたらラッパを吹きながら突撃するんだ」
……とか言って、女の子に騎兵ラッパの吹き方を教えていたのかもしれません。
フランチシュカは子供の時に叔父さんに遊んでもらった騎兵ゴッコを思い出して戦ったのかもしれません。そして、子供のゴッコ遊びはポーランド騎兵とアメリカ騎兵の両方で本物になったのです。
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2024.10.02 20:00心霊実在した『ベルばら』のオスカル的な英雄を亜留間次郎が解説! アメリカ独立戦争の雄、カジミール・プラスキ将軍は男装の麗人だった!?のページです。米国、ポーランド、カジミール・プラスキ、米国独立戦争、騎兵などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで