「性自認」って何のこと? 論理思考を省いた「トランス支援」は当事者をバカにしている!
「性自認」って何のこと? 論理思考を省いた「トランス支援」は当事者をバカにしている!(東京大学・三浦俊彦教授)
●S3「私は〈法的女性であるべき存在〉である」
S3はどうでしょう。ここでは「法的女性」がポイントです。そして何をもって法的女性とするかは、これも民族や法制度によって異なります。日本では、身体違和による性別移行を別にすれば、法的女性は生物学的♀と一致します。よって、S1に帰着します。身体違和がない場合、S3は当人が女性である理由にはなりません。
身体以外の要因Xで法的性別が決められている国では、そのXによってS3の意味が決まりますが、世界的にみてXの有力な例はただ一つ「性自認」です。ところが、S3は「性自認」の定義だったはず。すると「性自認」で「性自認」を定義することになり、循環定義になってしまいます。やはりS3はうまくいきません。
[5] ホルモンや手術によって生物学的♀になれるわけではないが、身体移行に社会生活を合わせる救済措置として性別変更を認定する、というのが特例法の精神である。ちなみに正確には、身体違和による性自認は「私は〈生物学的♀〉であるべきである」という意味になり、S1とは根本的に異なった論理構造を持つ。S3についても同様の区別が可能。その種の区別のためには記号論理学による表記が必要になるので、ここでは論じない。
●S4「私は〈自分は女性」と強固に信じる状態〉にある」
S4も似たような困難を抱えます。「女性の性自認」を定義する句の中に「法的女性」ならぬモロ「女性」そのものが出てきます[6]。するとS4は「女性」の根拠を与える「性自認」を「女性」で定義したものとなり、S3よりも露骨な循環定義となって、定義の役目を果たしません。「女性」が未定義のうちは、「性自認」も未定義のままです。
次のような反論が出るかもしれません。「S4を『信じる状態』と書いたのは不正確だ。性自認は信念ではない。感覚だ。定義不可能かつ定義不要な〈女性のクオリア〉なのだ」。
「女性」という概念を、女性の概念でなく感じによって定義するのであれば、循環定義にならない、という言い分。いかがでしょうか。
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2024.10.02 20:00心霊「性自認」って何のこと? 論理思考を省いた「トランス支援」は当事者をバカにしている!(東京大学・三浦俊彦教授)のページです。トランスジェンダー、論理的思考、性自認、超スカトロジスト時評などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで