肉親の死から1年後、骨を掘り返してガブリ…! 「自分の中に故人が蘇る」彼岸の伝統
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毎年、彼岸の季節になると、個人としての墓参はもとより、各地で様々な催事が行われるが、そうした中、世間一般のそうした慣習とは別に、“極めて特殊な行為”を行っていた事例があるようだ。
「ええ、少なくとも我々にとっては“普通のこと”なんです。もちろん、よその地域の人からすれば、“ちょっと不思議な”と申しますか、奇妙なものに映るかもしれませんがね」
かつて、東日本のとある地域で行われていたという、“とある彼岸の儀式”についてそう証言するのは、現在、都内某所で暮らし、デイサービスセンターで、同年代の高齢者たちとの昔話に花を咲かせているという、山中寿夫さん(仮名・89)。山中さんの話によると、その昔、彼が生まれ育った村と、その周辺の地域では、彼岸を迎える毎年九月下旬に、“なんとも不思議な儀式”を行うことになっていたのだという。
「人間っていうのはですね、長く生きておりますと、親兄弟やつれあいといった肉親を亡くしますでしょう? そう、場合によっては、自分の子供のほうが先立つ場合もあります。そういうね、“肉親の死”をですね、“噛み締める”とでも申しますか、故人を偲ぶとでも申しますかね、毎年彼岸になると、前の年からその年の彼岸になるまでの間にですね、亡くなった故人をです、その肉親が偲ぶ習慣がありましてね。それが家族の場合は私ら、あのあたりで生まれ育った人間はですね、墓を一度掘り返しましてね、そこから骨を拾って、彼岸の間じゅうずっと枕元に置いて、最後の日にその端を一口齧って、また墓に戻すという習慣があるんです」
たしかに、俳優の故・勝新太郎さんが、その生前に語っていたように、“故人の骨”を食べたり、齧ったりという行為を行う人は意外と多く、ましてやそれが、親や兄弟姉妹、長年連れ添った伴侶ともなれば、誰しもどこか頷けるところである。
しかし、そうした行為を“地域全体の習慣”として認識し、誰もが当たり前のようにやっていたとなると、それは全国的に見て、極めて珍しいケースであると言える。山中さんは続ける。
「ええ、たしかにですね、そういうことをやるのはおかしいという人もいるでしょうし、“もってのほかだ!”“罰当たりだ!”と、怒ってしまう人もいるかもしれません。でもね、私みたいに、あの辺で生まれ育った人間にとっては、それは子供の頃から繰り返していた、ごくごく“当たり前の行為”なんです。実際にですね、私の場合もですね、これまで何度か、そういうことをしてきましたけれども、たとえば母が亡くなったときなんかは、その1年後にですね、掘り返した母の骨とです、毎晩一緒に寝るわけです。寝るときに“おやすみ”って言って、朝目が覚めたら“おはよう”“今日はちょっと寒いね”とかって、声をかけて。それこそ、生きていたときと同じようにします。それで、いよいよ最後の日になったら、母が亡くなったときのことを思い出して、それでもって、そこからの1年間をですね、自分が感じた想いとか、そういうことなんかを語りかけたあとで、“ありがとう”っていう気持ちをこめて、かじるんです。するとね、どういうわけでしょうかね、自分の中に、母が蘇ってくるような心持ちになるんですよ」
人として生まれてきた以上は、必ずと言っても過言ではないほどに経験することとなる“肉親の死”。多くの人々にとってそれは、実に受け入れ難いものであるが、そうした人間としての摂理を思い浮かべると、当地におけるこうした習慣は、“単なる奇習”などではなく、傷心中の家族に、“一定の猶予”を与えるために行われていたように思われてならない。
そうした意味で言えば、当地におけるこの習慣、他の地域に生まれ育った人々の中には、どこか羨ましくも思える部分もあると言えそうだ。
※当記事は2018年の記事を再編集して掲載しています。
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2024.10.02 20:00心霊肉親の死から1年後、骨を掘り返してガブリ…! 「自分の中に故人が蘇る」彼岸の伝統のページです。墓、奇習、彼岸などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで