泉鏡花の墓の“お供えの酒”を飲んで寝てたら幽霊が出た!雑司ヶ谷墓地での墓酒体験記【ピスケン新連載】

 いつもよりだいぶ遅く、午後4時過ぎに墓地を散歩したところ、鏡花の墓前に「天狗舞」の大吟醸酒が供えられていた。一升瓶である。グラスに酒がつがれ、その分しか瓶の酒は減っていない。

 あたりを見渡した。誰もいない。

「呑んじまおうか」

 せっかくの、山廃仕込純米大吟醸だ。日陰とはいえ、この陽気では、すぐに酒はだめになってしまう。

 一升瓶をつかむと、栓をあけ、匂いを嗅いでみた。大丈夫。開けたばかりの、生きたいい香りだ。次いでグラスをつかむと、酒を歩道の土へ棄てた。バイ菌恐怖症の鏡花は、妻が眼の前でぐらぐらと沸騰させた酒しか呑まなかったという。旅行の際には、燗にした酒を魔法瓶に詰めて持ち歩いたそうだ。

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画像は「Getty Images」より引用

 グラスを持って、洗うために水道を探しに歩きだす。

「でも、一升を呑むとなると、なにか肴がほしいな」

 足は自然と、墓地を出た。

 30分後、鏡花の墓前で、私は最初の酒をグラスに半分ほどついだ。尻は墓の土台にある。口をつけ、ゆるゆると呑む。

 うん、旨い。馥郁たる、やわらかな口当たりだ。そのままキュッと最後まで飲み干す。

 あたりに眼をやってから、二杯目をたっぷりとつぐ。墓前には、私が供えた「ハイライト」が1本、細い煙を上げている。

 ここずっと、喫う煙草は「わかば」だが、さすがに鏡花に対し気がひけた。久しぶりのハイライトに火をつける。

「なにやってんだろ、おれ」

 という思いが浮かんだが、眼を細めて、煙とともに吹いてしまう。

 さて、肴だ。

 オイル・サーディンの缶詰と、ラッキョウの瓶詰、それと骨付きチキンをコンビニで買った。そのあと、墓地へもどる途中にある豆腐屋で、前から気になっていた胡麻豆腐を買う。小さなタレ醤油付きだ。ついでにキクラゲ入りの「卯の花」もおごった。

 胡麻豆腐は、はんなりとした甘みと香り、ねっとりとした食感がたまらない。オカラも甘すぎず、酒にほどよく合う。小鰯の油漬けの旨さは言うまでもない。チキンの強い塩味も、この際、塩梅のいいアクセントとなる。ラッキョウは甘すぎるが、カリッ、ポリッとした音が命。

 それらの肴で、私は「墓酒」を呑んだ。幽霊を信じていた鏡花だ。近くに着物姿で立ち、丸眼鏡の奥からキッと私を睨んでいることだろう。

「先生、乾杯」

 ときおり私は、当てずっぽうにグラスをかかげ、酒を呑む。

 静かだ。

 聞こえるのは、風がゆらす樹々の葉音ばかり。

 5合ほど呑んだあたりだった。

 100メートルほど遠くの墓石と墓石のあいだを、小さな白いヨットが流れるように、人影が見えた。

 ド派手な、白い着物姿の女だ。こちらへ向かって来る。着物が血に染まったような赤い花束と、浅葱色の風呂敷包みを抱えている。

 いそいで一升瓶を元の位置に返すと、私は肴の入った袋と、酒の入ったグラスを手に、その場を離れ、違う墓に向かった。

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