ナチス人体実験から始まったドーピングの歴史を徹底解説! ジョン・ボスリー・ジーグラー医師と魔法の薬ダイアナボル
なお、オリンピックでドーピング検査が始まったのは1968年からなので、ローマオリンピックの時はまだ何でもアリでした。デンマークの自転車競技選手ヌット・エネマルク・イェンセンはドーピングの失敗により事故を起こして競技中に死んでいます。ドーピングによるオリンピック史上初の死亡事故まで起こるほど、この当時はやり過ぎていました。
この快挙によりオリンピックメダリストになれる魔法の薬・ダイアナボルの名前は一気に広まりました。ちょうど、東西冷戦時代はマッチョイズム全盛期でもあり男らしさを重んじる思想がアメリカ社会を支配していました。
誰もが漫画に出てくるスーパーマンのような肉体を持つことを渇望していた時代に登場したことが不幸を加速させます。推奨用量の何倍ものダイアナボルを服用した人が肝疾患を発症したり心疾患で死亡したりした事を知って、ジーグラー医師はアスリートでの実験を断念しました。
1975年に国際オリンピック委員会によって禁止薬物に指定され、公式競技では使用できなくなりました。以後、ドーピング検査は厳しくなりましたが、ダイアナボルを使えば誰でもお手軽にマッチョになれるので、スポーツ選手ではなく、ドーピング検査とは無縁な人々がマッチョになって見た目を良くするために乱用する事態になりました。
ハルク・ホーガンやダイナマイト・キッドなど筋肉を売りにした有名なプロレスラーも使用していました。残念ながらダイナマイト・キッドはドーピングのしすぎで体を壊し、晩年は車椅子生活になり60歳でこの世を去っています。
ジーグラー医師が手を引いた時にはすでに手遅れになっており、馬鹿の間でマリファナと同じくらい広く行き渡ってしまいました。彼は1983年、「自分の人生で一番の失敗だった」「無かったことにしたかった」とドーピングしたことを後悔しながら亡くなりました。
21世紀現在もダイアナボルは普通に売られています、日本でも違法薬物ではないのでネット通販を探せば普通に買えます。
しかし、人間の体は全体がバランスよく整っている状態が最も健康であり、筋肉だけを肥大させた異常な状態は不健康です。大量の筋肉は多くの血液供給を必要とし、心臓の能力に負担をかけます。その結果、心疾患を引き起こして死にます。
ナチスドイツの人体実験に始まり、東西冷戦のドーピング合戦の中で完成した強化人間になれる魔法の薬は、悪魔との取引だったのです。
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2024.10.02 20:00心霊ナチス人体実験から始まったドーピングの歴史を徹底解説! ジョン・ボスリー・ジーグラー医師と魔法の薬ダイアナボルのページです。オリンピック、ナチス、テストステロン、ドーピング、筋肉、医師、ジョン・ボスリー・ジーグラーなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで