母を亡くした少女の絶対に泣ける恐い話… 川奈まり子の怪談「インターホン」
怪談といえば身の毛もよだつ怖ろしい話が多数を占めるが、心霊体験には単なる恐怖だけではない人間の情が絡んだしっとりとした話もある。たとえば家族、友人、ペットなど身近な存在だった者たちの霊との遭遇は往々にして体験者に強い心寂しさを引き起こすことも。今回はそんな泣ける怪談の1つを再掲する。
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※ こちらの記事は2019年1月31日の記事を再掲しています。
作家・川奈まり子の連載「情ノ奇譚」――恨み、妬み、嫉妬、性愛、恋慕…これまで取材した“実話怪談”の中から霊界と現世の間で渦巻く情念にまつわるエピソードを紹介する。
【二三】『インターホン』
1970年生まれの村田佳恵さんは母親を早くに亡くした。佳恵さんが小学3年生、妹が小学1年生のときだった。母は癌で、発見したときには転移が進んでおり、1979年の4月にあっけなくあの世へ……。
念願のマイホームを建ててからまだ2年足らずで、母は入院中、ずっと家の掃除や庭の手入れのことを心配していた。また、佳恵さんたちがお見舞いに行くと必ず、「ちゃんと食べてる?」と食事について気遣った。
母の葬儀から2カ月ほどして、父は自分の妹を実家から呼び寄せた。
この人は、つまり佳恵さんの叔母にあたる女性なわけだが、当時失業中で独身でもあったので、父は家事をしてもらう代わりに生活費を援助するという約束で、家に住まわせることにしたのだった。
叔母は当時30歳だったが、これまで家事を取り仕切ったことはなく、初めのうちは食事の支度に3時間もかかったり、洗濯物を溜めてしまったりと、苦労していた。ただ、とても陽気でポジティブな性格で、すぐに、佳恵さんたち家族にとってなくてはならない人になった。
ほどなく、佳恵さんと妹は、父に倣って、この叔母のことを「みよちゃん」と呼びはじめた。
みよちゃんが慣れない家事と奮闘しはじめて3カ月あまり経った頃のこと。
それはちょうど学校の二学期が始まった日で、佳恵さんと妹は午前11時過ぎに連れ立って帰宅した。近年は始業式の日にも授業がある学校が多いようだが、この頃2人が通っていた公立小学校では、始業式の日は式とホームルーム、避難訓練があるだけで、午前中に生徒を下校させた。
佳恵さんたちは家に着くと、門のところでインターホンを鳴らして、ドアの鍵を開けてもらう習慣だった。呼び鈴のボタンとマイク、スピーカーが付いている、当時の標準的なインターホンで、この日は佳恵さんの妹がボタンを押した。
すぐにスピーカーから「はーい」と返事が聞こえてきた。
「みよちゃん、ただいま!」と妹が応えた。
「……」
いつものみよちゃんなら、即座に「おかえり!」と返事をするところだが、スピーカーは最初の「はーい」の後は沈黙している。
佳恵さんたちは顔を見合わせた。……が、とりあえず、玄関に行き、ドアを開けようとした。
しかし開かなかった。鍵を開けてくれていないのだ。こんなことも初めてだった。姉妹は再び目を見交わした。
「どうしたんだろう? ……みよちゃーん!」と、妹がドアに向かって大声を出した。
「みよちゃーん! 開けてー!」
すると隣の家のおばさんが、2階の窓から顔を出した。
「どうしたの? おっきな声を出して。叔母さんなら、さっき出掛けていったよ」
「え? でもインターホンに『はーい』って返事をしました」
「じゃあ、おとうさんが帰ってきてるんじゃないの?」
しかし、さっきの声は女性のものだった。また、父は会社勤めで、滅多に早退することはない。
結局、それから一時間ぐらいして、みよちゃんが買い物袋を両手に提げて帰ってきた。庭で遊んでいる二人を見て目を丸くしてから、ハッと気づいたようすで、「あっ、始業式だから帰りが早いんだ!」と叫んだ。
「ごめんね! そうかぁ。失敗しちゃった。すぐお昼ご飯にするからね!」
家に入る前に、「みよちゃん、誰かが返事をしたんだよ」と妹がさっそく先刻の出来事を報告した。佳恵さんがさらに詳しく説明すると、みよちゃんは門のところに引き返して、インターホンを鳴らした。
すると、「はーい」とスピーカーから返事が流れた。
みよちゃんは心持ち青ざめて、マイクに向かってこう語りかけた。
「おねえさんですよね。成仏なさってください。もう大丈夫ですから」
それから佳恵さんたちの方を振り向いて、「帰ったらお仏壇に手を合わせよう」と話しかけた。
「おかあさんを安心させてあげなくちゃ。私がこういうヘマをちょくちょくやらかすから、彼の世で安眠できないのかもしれないけど……」
それを聞いて、佳恵さんは、「はーい」と返事をしたのは亡くなった母なのだと理解した。
怖いとは思わなかった。ただ、涙が溢れてきた。気がつけば妹も両手を目に当てて泣いていた。
その後も、2〜3年の間、留守のはずなのにインターホンを鳴らすと誰かが「はーい」と返事をすることがあった。
そんなとき、佳恵さんは妹とインターホンに向かって「おかあさん、あのね……」と、その日の報告をした。
しかし不思議なインターホンは次第に間遠になり、三回忌の法事の直後、親戚が家に集まっていたとき、インターホンが鳴ったので、みよちゃんが室内から「はい」と応えたら、
「ごめんなさい」
と、誰かが門のところからマイクに向かって囁いたのを最後に、ふっつりとこういうことは起きなくなった。
そのときは親戚がたくさんいる中で、みよちゃんが大声で「おねえさん! 謝らなくていいから、成仏してください!」などと言ったものだから蜂の巣をつついたような騒ぎになってしまったとのことだ。
佳恵さんが中学校に入学するのとほぼ同時に、みよちゃんは家の近所の生花店で働きはじめ、それから間もなく店主と結婚して家を出ていった。
けれどもすぐ近くに住むことになったので、生花店の人たちと佳恵さんたちは家族ぐるみで付き合うようになり、佳恵さんが成人する頃まで、みよちゃんはときどき家事を手伝いに来てくれた。
みよちゃんから母の幽霊にまつわる話を聞いたのは、佳恵さんが高校二年生の頃のことだった。
その日は母の命日で、みよちゃんは朝から家に来て、仏壇にお供えをしたり、部屋の掃除をしたりしていた。
深夜11時頃、佳恵さんがそろそろ寝ようと思って、おやすみの挨拶をするために父とみよちゃんがいる居間に行くと、父に引き留められた。
「今、みよちゃんから、おかあさんが亡くなった後で起きたことを聞いていたところなんだ。おまえも知りたいだろう?」
「うん! 何かあったの? インターホンのこと以外にも」
佳恵さんが訊ねると、みよちゃんはうなずいて話しはじめた。
「この家に来たときから、玄関の靴が揃えてあるとか、冷蔵庫の中が整理されるとか、なんとなく不思議なことが1日のうちに何度も起きた。最初はお兄ちゃんか佳恵ちゃんがやってくれたんだろうと思っていたけど、つじつまが合わないことが度々あって……。それに初めの1週間ぐらい、毎晩、夢におねえさんが出てきて泣きながら家中を歩きまわっていたのよ! 死んでも死にきれないんだろうなぁと思って、怖さよりも気の毒だと思う気持ちが先に立った。そのうちに、家のあちこちでおねえさんを見かけるようになって……。視界の端にチラッと入るだけで、振り向くとすぐに消えちゃうから、これも気のせいだと思おうとしたんだけど、黄昏時に買い物から帰ってきたら、2階の窓のところに立っているのを、外からはっきり見ちゃって……。悲しそうな顔で庭を見下ろしてたっけ。始業式の日に佳恵ちゃんたちが鳴らしたインターホンに返事があった、あのちょっと前のことだった」
「だからインターホンのとき、あんまり驚かなかったんだね?」
「うん。おにいちゃんも全然ビックリしなかったよね。三回忌のときも」
水を向けられると、佳恵さんの父も「知っていたからね」と言った。
「おかあさんが家にいる感じが、ずっとしていたんだよ。寝室で寝息を聞いたこともあったな……。あれは不思議だった。本当に、おかあさんが隣で眠っているような気がしたからね。午前2時すぎにタクシーで帰ってきたとき、鍵を開けて玄関に入ろうとしたら、中で灯りがパッと点いたこともあった。みよちゃんが起きていたのかと思ったが、そうじゃなかった。みよちゃんもおまえたちも眠っていた。あれはきっと、おかあさんの幽霊が電気を点けてくれたんだよ」
「3人でそういう話をしているときに奇怪なことが起きると、如何にも怪談っぽくて面白い感じになると思うのですが、何も起きませんでした。三回忌の後で、インターホン越しに『ごめんなさい』と言ったときに母は成仏してしまったんじゃないでしょうか。もっとこの家に留まってくれてもよかったのに……。みよちゃんと父も、あの夜、同じことを言っていました」
佳恵さんのお子さんは来年成人式を迎えるそうだ。子育てをしながら、小学生の娘2人を残して逝った母の苦悩に思いを馳せたことが何度もあるのだという。
「建てたばかりの家にも執着があったには違いありませんが、それよりも私と妹のことを想うと……とても辛かったんじゃないでしょうか。しっかり者で優しい、良い母でした。今、あの家には父がひとりで暮らしていますが、近々リフォームして私と家族が同居するつもりです。父は再婚せず、いまだに母との想い出を語るんですよ。ああまで愛されたら、ときどき化けて出てあげたくなりそうなものですが、もう本当に出ません。今、あのインターホンの頃のことを思い返すと、夢の中の出来事みたいな気がします」
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