歴史上で最もヤバい「影武者伝説」5選!人身売買、暗殺事件、演説…
人類の歴史を振り返ると、世界各地では数多くの“影武者”が暗躍してきた過去がある。政治家は暗殺者の魔の手から逃れるために、またアーティストはパフォーマンスの質を上げるために影武者を使ってきた。今回は歴史上で語られる影武者伝説5選を紹介しよう。
■アンディ・ウォーホルの影武者
“ポップアートの巨匠”と名高いアンディ・ウォーホルには、実は影武者が存在していたという逸話がある。1967年10月2日にウォーホルは、米国のユタ大学で講演を行うことに。会場には1,000人以上の観客が詰めかけ、講演ではウォーホルが同年に制作した短編映画が上映された。ウォーホルは、分厚いサングラスを着用しステージに登壇すると、観客からの質問にも応じたという。しかし当時彼のマネージャーを務めていた映画監督のポール・モリセイによると、ユタ大学を含む4つの大学で行われた講演には、ウォーホルの影武者が雇われていたとか…。
■ウィンストン・チャーチルの声を担当した影武者
第二次世界大戦期の英国の首相ウィンストン・チャーチルにも、影武者の存在を示唆する証拠が浮上している。1990年に米国のリサーチ企業がチャーチルの演説20件を分析したところ、3件が別の人間の声によるものだと判明。2000年には俳優ノーマン・シェリーの息子が、1942年9月7日の演説で、ノーマンがチャーチルの代役を務めた際のテープを証拠として提出している。テープには大戦中に、チャーチルが残した名言「我らは戦い、断じて降伏しない」が録音されていたとか。しかし当時の演説にはさまざまな臆測が飛び交っており、真相は神のみぞ知る状況だという。
■ヨシフ・スターリンの影武者だったことを公表した男性
2008年に旧ソ連に関する重大な秘密が、当時88歳のフェリックス・ダダエフにより公にさらされた。驚くべきことに彼は、旧ソ連の指導者だったヨシフ・スターリンの影武者を務めていたという。1942年、当時20代のフェリックスはグロズヌイ(現、チェチェン共和国の首都)での戦闘で重傷を負ってしまう。翌年に傷が癒えた彼には、スターリンの影武者になる任務が与えられた。40歳以上も年が離れたスターリンを完全に模倣するために、彼は演説の映像などを見ては大臣の所作を学んだという。付け髭や化粧で変装したフェリックスの二重生活は、スターリンが亡くなる1953年まで続いた。
■影武者を買収する中国人
お金で愛は買えないかもしれないが、中国ではお金で実刑判決の身代わりを買うことはたやすいという。2012年には中国で、歩行者が猛スピードで走行する車に18mもはじき飛ばされ死亡する事件が起きた。車を運転していたのは裕福な家庭出身の男ホン・ビンだったが、法廷には金で買収された身代わりの“代理受刑者”が立っていたという。代理受刑者は中国でたびたび見られ、中には死刑判決が下った犯罪者が身代わりを雇うこともあったとか……。今からはるか昔の1847年には英国人外交官が、中国の貧困層にはお金のために喜んで身を差し出す人物がいると伝えている。
■ジョン・F・ケネディ暗殺の実行犯を演じた影武者
1963年11月に米国テキサス州ダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の事件にも、影武者の存在が……。事件の実行犯として逮捕されたリー・ハーヴェイ・オズワルドは別人だった可能性が浮上し、同国では“2人のオズワルド説”とも呼ばれている。事件2日後にジャック・ルビーが公衆の面前で殺害したオズワルドは、実はスケープゴートに仕立て上げられた“別の”オズワルドだったという見方も強まっているとか。また本物のオズワルドは、ケネディ大統領の暗殺を目的とした訓練を中央情報局(CIA)、または極秘組織から受けていたという良からぬ噂まであるほどだ。
参考:「LISTVERSE」、ほか
※当記事は2017年の記事を再編集して掲載しています。
※ 本記事の内容を無断で転載・動画化し、YouTubeやブログなどにアップロードすることを固く禁じます。
関連記事
人気連載
歴史上で最もヤバい「影武者伝説」5選!人身売買、暗殺事件、演説…のページです。影武者、ウィンストン・チャーチル、ヨシフ・スターリン、リー・ハーヴェイ・オズワルドなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで