軍医の家族が惨殺された“ドクター・デス事件”の謎! 恐怖の血文字、隣人の証言… 無実を訴え続ける男の正体は?
1970年2月17日午前3時42分、911オペレーターは男性からの通報を受けた。男性は、自宅がマンソン・ファミリーのようなヒッピー集団に襲われ、妻と2人の娘が殺されたと語った。事件の発生場所は米ノースカロライナ州フォートブラッグにある住宅だった。
現場に到着した警察は、寝室の床に横たわっているコレット・マクドナルド(当時25)を発見した。妊娠中だった彼女は仰向けに倒れ、片目を開け、片方の胸を露出させていた。全身を何度も殴打され、両腕が骨折した状態だった。後に病理学者は、コレットが腕を上げて顔を守ろうとしたため骨折した可能性が高いと考えた。さらに、コレットはアイスピックで胸を21回、ナイフで首と胸を16回刺され、気管が2カ所切断されていた。血まみれで破れたパジャマの上着が彼女の胸に掛けられ、果物ナイフが彼女の体の横に置かれていた。
コレットの遺体の横には、通報した夫のジェフリー・マクドナルド(当時26)がうつ伏せで倒れていた。マクドナルドは息があったが負傷しており、コレットの胸に頭を置き、片方の腕をコレットの首に巻きつけた格好だった。近づいた警官に「子供たちを確認してください! 子供たちが泣いているのが聞こえました!」と呟いた。
長女のキンバリー(当時5)は寝室のベッドで発見された。頭と体を繰り返し殴打され、首をナイフで8~10 回刺されていた。頭蓋骨は右側を少なくとも2回殴打されて骨折し、顔の傷口から頬骨が飛び出していた。キンバリーは脳に打撲傷を受けて昏睡状態に陥り、その直後に死亡したとされる。
次女のクリステン(当時2)も別のベッドで、哺乳瓶を口にくわえた状態で発見された。胸、首、手、背中をナイフで33回、アイスピックで15回刺されていた。ナイフの傷は心臓を貫通していた。手の怪我は防御創である可能性が高かった。
マクドナルド夫妻のベッドのヘッドボードには「PIG」という血文字が残され、この言葉を書くのにコレットの血液が使われたと判明した。1969年7月、マンソン・ファミリーのメンバーがゲイリー・ヒンマンを殺害した際、ヒンマンの血で壁に「POLITICAL PIG(政治豚)」と書き残したが、コレットの血で書かれた「PIG」は、この事件を模倣したものと考えられている。
たった一人の生き残りだった夫、陸軍外科医のマクドナルドは背が高く容姿端麗、理想的な父親と思われていた。そのため、警察も彼が犯罪の被害者であることを疑っていなかった。マクドナルドは、「襲撃で意識を失い、気がついたときには6年間連れ添った妻と2人の幼い娘が全員死亡していた」と語った。
警察は初期捜査で、マクドナルドの証言に基づき、白人の男2人、黒人の男1人、白人でブロンドの女1人が容疑者であるとして行方を追った。裏庭では凶器が発見されたが、指紋が拭き取られていたため、犯人がすぐに現場を離れたわけではないと考えられた。しかし、容疑者4人の捜索は難航を極めた。
マクドナルドの証言には数々の矛盾があった。彼が語ったヒッピーの侵入を裏付ける証拠はほとんど発見されず、嘘発見器による検査も拒否した。しかも、マクドナルドは戦闘訓練を受けていたにもかかわらず、彼がヒッピーと命がけで戦ったとされる部屋には、闘争の形跡がほとんど見られなかった。マクドナルドの怪我は、殺害された家族の怪我よりもはるかに軽度だった。マクドナルドのパジャマの繊維が、妻の遺体の下と2人の娘の寝室でも発見された。
隣人への聞き込みでは、マクドナルド家から争う音は聞こえなかったが、コレットが大声で怒鳴っているのが聞こえたという証言を得られた。マクドナルドとコレットは事件前の1カ月間、互いに口を利いていないように見えたと語る隣人もいた。
やがて捜査当局はマクドナルドが真犯人であると確信。彼を逮捕するとともに、5月1日に3件の殺人罪で正式に起訴した。同日、マクドナルドはコレットの母親と継父に無実を主張する手紙を書いている。
マクドナルドの弁護士バーナード・シーガルは、最初の公判で、法医学捜査官がマクドナルドの証言を裏付ける重要な証拠を破棄したと主張。さらに、警察への情報提供者でもある女性、ヘレナ・ストックリーこそ容疑者であると訴えた。彼女は、マクドナルドの証言に登場する金髪の白人女性と容姿が一致するだけでなく、事件の夜にどこにいたか思い出せないと語ったとされる。彼女とそのボーイフレンドは、捜査段階で尋問を受けたが、容疑者から外されていた。
10月13日、証拠不十分であるとして、マクドナルドの起訴は取り下げられた。しかし除隊を余儀なくされ、翌年7月にカリフォルニア州ロングビーチに引っ越して医師として働いた。テレビのインタビューにも積極的に出演するなどして一躍有名人になった。
コレットの継父であるアルフレッド・カサブ氏は、もともとマクドナルドの無罪を信じていたが、徐々に彼を疑うようになった。そして、独自の調査を開始し、警察によるマクドナルドへの尋問の写しを取得、犯行現場を再分析して最終的にマクドナルドが家族を殺害したと結論付けた。
カサブ氏の働きかけなどもあって、マクドナルドの裁判をやり直すことが何度も検討されたが実現しなかった。しかし、1979年7月16日、とうとうマクドナルドは2度目の裁判にかけられた。そして同年8月29日、1件の第1級殺人罪と2件の第2級殺人罪で有罪となり、3件の終身刑が言い渡された。
無罪判決を確信していたマクドナルドは、有罪判決を受ける前に、作家のジョー・マクギニスへ事件に関する本を執筆するよう依頼していた。しかしジョーは(マクドナルドの思惑とは裏腹に)『死をもたらす侵略』という本の中で、マクドナルドを「反省のない、冷静で計算高い殺人者」として描写した。
有罪判決から40年以上が経過し、マクドナルドは今年で78歳である。「ドクター・デス」の異名で呼ばれる彼は、今も一貫して無罪を主張し、何回か控訴を要求した。彼の無罪を信じている人々もいる。その一人である映画監督のエロール・モリス氏はCBSの取材で「彼の有罪について説得力のある議論を私に示した人は誰もいませんでしたので、私は彼が無実であると信じています」と語った。彼はマクドナルドが無罪である証拠を集めた本『過ちの荒野』も執筆した。
2002年8月、獄中のマクドナルドは元子供演劇学校のオーナーであるキャスリン・クリチと再婚した。彼女は1997年、マクドナルドの裁判を支援することを申し出る手紙を書いた人物である。
マクドナルドは現在、メリーランド州カンバーランドにある連邦矯正施設に収監されている。果たして、家族を惨殺した冷酷な殺人鬼なのか、それとも無罪なのか、仮に有罪であるとすれば、マンソン・ファミリーの犯罪を模倣した理由とは…… 真実を知っているのは彼自身である。
参考:「The Sun」、「Criminal Minds Wiki」、ほか
※当記事は2022年の記事を再編集して掲載しています。
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