【エデンの園】1599年の聖書に綴じ込まれていた「楽園の地図」、16世紀の学者たちが指し示した場所とは!?

人類最初の男女アダムとイブが暮らしたとされる楽園「エデンの園」。その場所を描いた一枚の地図が、400年以上前に刷られた聖書の中に収められていたのか……。
地図のタイトルは「エデンの園の位置」。そこには、16世紀の聖書学者たちが本気で考えた楽園のありかが、川や山、海の名前とともに書き込まれている。
アララト山のふもと、ユーフラテス川の源流に
地図が収められているのは、1599年版の「ジュネーブ聖書」だ。迫害を逃れてスイスに渡ったイングランドのプロテスタント学者たちが編んだ聖書で、1560年から1644年までに最大36万部が刷られたと歴史家は見積もっている。
古い聖書を紹介するYouTubeチャンネル「Ashleys_AntiqueBibles」の運営者によれば、地図はエデンを「大アルメニア」に置いているという。描かれた山々は現在のトルコにあるアララト山を表すとみられ、そのふもとにユーフラテス川の源流がある。
地図にはメソポタミア、バビロン、ハビラ、アラビア砂漠、ペルシャ湾、カスピ海も記されている。ユーフラテス川は山あいから西へ流れ出し、カスピ海は東側に描かれている。
エデンをカスピ海の底に想定する見方もあるが、この地図が示すのは海の底ではなく山岳地帯の水源近くだ。現代の地図に置き換えると、アルメニアやイランとの国境に近いトルコ東部にあたる。

カルヴァンが解こうとした「四つの川」の矛盾
実はこの地図、宗教改革の指導者ジャン・カルヴァンが1554年に出版した創世記の注解書に載せた地図の写しである。
創世記には、エデンから流れ出た一本の川がピション、ギホン、チグリス、ユーフラテスの四つに分かれたと書かれている。当時の学者の多くはピションをガンジス川、ギホンをナイル川と考えていた。だが、この四つの川は現実の地理では一か所に集まらない。
ウィスコンシン大学マディソン校で歴史を教えていたジャスティン・ウォールデン氏のプレプリント(査読前論文)によれば、カルヴァンは「源」と訳される聖書の言葉が、川の始まりにも河口にも読めると考えた。そこでピションとギホンは別の川ではなく、チグリス川とユーフラテス川の下流部分を指す名前だと主張したという。こうしてカルヴァンは、聖書の記述と実際の地理のつじつまを合わせ、エデンをメソポタミアにかつて実在した楽園として描いた。
ウォールデン氏が興味深いと指摘するのは、この地図に園の境界線が描かれていない点だ。地図は楽園の大まかな場所を示す一方で、その輪郭までは示していない。つまり、楽園がかつて確かにあったことと、今はもう存在しないことを、同時に伝えているのだという。残っているのは四つの川という「痕跡」だけというわけだ。
エチオピア高原説も浮上、終わらない楽園探し
エデンの場所をめぐる議論は何世紀も続いてきたが、決着はついていない。2025年には、テキサス州の化学技術者マフムード・ジャワイド氏が、エチオピア北西部のバハルダールこそエデンだとする査読前の研究を発表した。
ジャワイド氏は聖書とコーランの両方を読み比べ、青ナイル川の水源タナ湖に注目した。ギホン川は古くエチオピアを指すとされる「クシュの地」を巡ると書かれていることから、ギホンを青ナイル川と結びつけ、湖から流れ出す複数の水路を四つの川に重ねている。
標高約1,800mの高原に広がる豊かな緑と野生動物も、楽園の描写に合うという。さらに、楽園の入り口を守った「炎の剣」は、タナ湖周辺を囲む火山の尾根だった可能性まで唱えている。
東洋の「桃源郷」がそうであるように、楽園は見つからないからこそ人を惹きつけるのかもしれない。16世紀の学者たちが山あいの源流に見た楽園と、現代の技術者が高原の湖に見た楽園。どちらも証明はされていないが、地図に引かれた一本の川が、今も人々を楽園探しへと駆り立てていることは確かだ。
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2024.10.02 20:00心霊【エデンの園】1599年の聖書に綴じ込まれていた「楽園の地図」、16世紀の学者たちが指し示した場所とは!?のページです。聖書、地図、楽園、エデンなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで

