SFの巨匠フィリップ・K・ディックは「異世界」へ行っていた!? 1975年に体験した“第3の現実”と金色の扉の向こうに消えた人類の故郷

作家の中には、自作の世界観を単なる想像の産物ではなく「実際に見たものだ」と語る者がいる。
だが、SF界の巨匠フィリップ・K・ディックほど、その主張を理論立てて語った人物は珍しいだろう。1977年、フランス・メッスでの講演で彼が明かしたのは、1975年2月に自らが「第三の現実」で過ごしたという約6時間の記憶だった。
彼はそれを、人類がいつの間にか失ってしまった”正当な故郷”だと確信していたという。
1975年、庭園のような「トラックC」で過ごした6時間
ディックは現実には複数のバージョン、彼の言葉を借りれば「トラック」が存在すると信じていた。人間は、消えてしまった別バージョンの記憶を断片的に保持することがあるとも主張している。
1975年2月に一時的に移行したという「トラックC」は、監視国家の対極にある、平和で美しい庭園のような場所だったという。そこを歩きながら、これは人類がどういうわけか失った正当な故郷だという強い印象を持ったと語った。
天使や聖書的な光景を予期していたが、実際に映ったのは空と陸地、滑らかな濃紺の水面だった。水辺に立つ女性を、彼はアフロディーテだと認識したという。
光景はやがて縮小し、金色の長方形の扉の向こうに見える風景としてしか見えなくなった。扉の輪郭はレーザーのような光で脈打ち、自らを飲み込むように閉じたという。経過した時間は約6時間で、扉が閉じた瞬間、苦い喪失感とともに締め出されたと感じたという。
「鉄の檻」のトラックAと、まだましなトラックB
ディックは隷属と監視に支配された暗い世界を、自身の小説『高い城の男』や『流れよ我が涙、と警官は言った』に結びつけた。彼が「鉄の檻」と呼ぶ、奴隷国家と化したアメリカの残存記憶から書いたと主張している。
この暗い現実は「トラックA」、我々が生きる現実は「トラックB」と呼ばれ、抑圧に満ちてはいるもののトラックAよりはましだとされた。歴史が「再プログラム」され、悪い出来事が良い版に置き換えられた可能性まで示唆している。
彼の並行現実論は政治的な色合いも強かった。自分についてよりも多くを知る政府は打倒されるべき国家だと定義し、その国家がトラックAに実在し、自分は抵抗した人物の一人だったと記憶していると語った。
こうした記憶の断片は、1974年2月に親知らずを抜いた際の麻酔薬の影響下で、突然のフラッシュとして蘇ったと語っている。

黒髪の女性が告げた「あなたのフィクションは真実だ」
ディックの作品には、黒髪の女性が現れて主人公に「あなたが理解している現実は偽物だ」と告げる筋書きが繰り返し登場する。『高い城の男』では、ある女性が作家に、その”フィクションの本”はある意味で真実だと告げる着想が扱われている。
自分にも同様のことが起きるという予感を強めていたと語るディックのもとに、実際、30冊以上の小説を読み込んだという見知らぬ女性から連絡があったという。彼女は、作品の一部は文字通り真実だと告げ、著作からどの現実を体験したかを特定できたという。ただし3つ目のトラックCの存在までは知らず、それはディック本人が伝えたとされている。
これは神秘体験、思弁、あるいは現実の安定性を問い続けた作家の個人的な哲学、いずれの角度からも解釈しうる話だ。講演自体が示すのは、あくまで本人の証言であり、別世界の存在を証明するものではない。
ディックが見た庭園は、麻酔薬が呼び起こした一時的な幻覚だったのか、それとも人類が本当に忘れてしまった”正当な故郷”の残像だったのか——真相は本人以外知りようがない。ただ、金色の扉の向こうに消えていった濃紺の海と一人の女性の姿を、彼は生涯忘れることができなかったという。
参考:How and Whys、ほか
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2024.10.02 20:00心霊SFの巨匠フィリップ・K・ディックは「異世界」へ行っていた!? 1975年に体験した“第3の現実”と金色の扉の向こうに消えた人類の故郷のページです。異世界、フィリップ・K・ディックなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで