「一夫多妻カルト」の指導者ウォーレン・ジョセフの狂気!
2006年5月、FBIは未成年者との性行為を狂ったように推奨したカルトリーダー、ウォーレン・ジェフスを「FBI10大最重要指名手配」。アメリカ西部に複数存在する一夫多妻主義者セクトの一つ、末日聖徒イエス・キリスト原理主義教会(FLDS)というカルトの指導者であり、未成年の子供たちとの性行為を推奨、自らも少女に性的暴行した容疑者ウォーレンを、FBIが徹底的に追うこととなった。
■宗教を悪用した男
もともとキリスト教は、発祥時、複数の神々を同時に崇拝する古代ローマ帝国から「カルト」という目で見られていた。「水の上を歩くことができ」「死から蘇った」カリスマ的リーダー、イエス・キリストの存在を、古代ローマの人々はうさんくさいという目で見たからだ。キリスト教と共に世界三大宗教である仏教とイスラム教も、最初はカルト視されていた。
しかし、非暴力的で平和を説くこれらの宗教は世界中の人々の心に平安をもたらし、数百年かけてカルトではなく立派な宗教だと認められるようになった。実際、宗教のほとんどは悪いものではない。
ただし、世間から認められたこれらの宗教と枝分かれしたとする新興宗教のリーダーという立場に上りつめた者の中には、まれにその立場と権力を利用し凶悪犯罪に手を染める者がいる。ウォーレンはまさにそんな男だった。
■一夫多妻のルーツ
アメリカでは重婚は禁じられており一夫多妻は認められていない。キリスト教も新約聖書では一夫一妻しか認めていないが、モルモン教として知られるFLDSの前身、末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS)主義者は1900年始めまで一夫多妻制だった。
1800年代のこと。LDSの設立者で「神に選ばれた預言者」ジョセフ・スミスは、「多妻結婚を実施するように命じる啓示を受けたこと」をきっかけに、モルモン教徒たちは一夫多妻制を始めた。その理由は主に次の3つ。
1. 旧約聖書では認められていた。預言を実現させるためこの制度を復旧させなければならない。
2. モルモン教徒の両親の下に生まれた子供はモルモン教徒になる。一夫多妻制だと信者の数をたやすく増やし信仰を広めることができる。
3. 死後、キリストが蘇り審判の日が訪れ暮らすことになる天国には3ランクあり、最高ランクのセレスティアル王国にもランクがある。女性が最も良い王国の中の王国に住むためにはモルモン教の信者と結婚していること、男性は最低でも3人の妻を娶ることが条件。だから一夫多妻制にしなければならない。モルモン教徒だけがセレスティアル王国に行くことができる――天国でもセックスができるというニュアンスで説くこともあった。
信者たちはこの3つの教義を守るため、人が住んでいないユタ州の僻地に住むようになった。
だが1904年、再び預言者が神から「もう一夫多妻を行う必要はない」と啓示を受け、一夫多妻制を終了した。この啓示以来、LDSでは一夫多妻を固く禁じている。
このように、モルモン教が一夫多妻性を正式な教義として取り入れていた時期は、実は50年ほどと短い。しかし、今でも「モルモン=一夫多妻制」だと思っているアメリカ人が多い。なぜなら、モルモン教から分派したFLDSが、今なお一夫多妻を続けているからだ。
一夫多妻をしている人は、現在、アメリカ西部に3万人ほど存在するとされている。成人した女性が、自ら納得してこの制度を受け入れている場合もあり、その場合は法律違反であるものの、逮捕されない逃げ道はあり、さほど問題ではない。
しかし、FLDSのセクトに生まれた女子は、12歳になると男性との結婚話を持ちかけられるようになる。その相手はうんと年上の男性信者。FLDSコミュニティに生まれた女子は14歳になるまでに、ウォーレンを含む年上の男性信者たちと結婚させられ性奉仕するよう強要されるのだ。「そうしないとお前は天国の中の天国へは行けない」「お前の母親や姉妹とももう会えなくなる」と脅されながら……。
自分の意思に反して幼くして結婚を強要され、「神のお告げだから」と“夫”に性行為を強要される。そんな日々に耐えられず、セクトを逃げ出し、警察にウォーレン率いるFDLSセクトを告発する多数の女子たちの訴えを受け、2006年5月、FBIはウォーレンを「FBI10大最重要指名手配」リストに入れたのだ。
しかし、ウォーレンを逮捕することはたやすいことではなかった。アリゾナ州とユタ州にまたがるFLDSセクトは東京ドーム約147個分ある1700エーカーもあり、信者は極端に閉鎖的なため、思うように捜査が進まなかったのだ。
■祖父の代からの筋金入り信者だったウォーレン
ウォーレンは1955年12月3日にカリフォルニア州サクラメントに誕生。父ルーロン・ジェフはアリゾナ州コロラドにセクトを持つFLDSのリーダーで、1986年から92歳で亡くなる2002年まで務めた。また、祖父にあたるデイヴィッド・ウィリアム・ワード・ジェフも一夫多妻生活を送っていたFLDS信者だった。ウォーレンはFLDS三世として生まれ、FLDSの筋金入りの信者として育った。
父親のルーロンは、少なくとも75人の妻を娶り、自分の血をひく子供を少なくとも65人産ませたとされている。ルーロンは29歳になる1938年までLDS信者として生活させられ、1930年から1932年までの2年間イギリスでモルモン教の布教活動も行なっている。
FLDSは神権者と呼ばれる選ばれた男性信者が権力を握るカルトであり、男子は外に出されることが多い。そして「外の女を娶ったら戻ってくることを許可する」と言われる。いとこ婚も頻繁に行っており、遺伝上の問題を起こりにくくする意味もあって、男には他で女を探し、女児をたくさん産ませるようにと推奨していたのだろう。
ルーロンはモルモン教徒の女性と結婚。これを受けて、1938年にデイヴィッドからFLDSに戻るよう命じられる。ルーロンは迷わずFLDSに戻り、一夫多妻を始めた。LDS信者時代に結婚した最初の妻は一夫多妻に猛反発して離婚して出て行ったが、ルーロンは考えを変えずFLDS信者としての道を極めるようになったのだ。
ルーロンは1945年春にユタ州ソルトレイク・シティに移住した。1986年、ルーロンは伝道者の中でも一番ランクの高いリーダー的存在に就任。14歳、15歳という未成年妻も娶るようになったと伝えられる。
ちなみに、アリゾナ州では1953年7月に36人の男性が重婚罪で逮捕され、86人の女性、263人の子供たちが保護されるという事件があった。が、2年も経つとほぼ全員がセクトに戻り再びFLDSの生活を送るようになったと伝えられている。ルーロンもユタ州に移住したことで逮捕を逃れていた。
ルーロンがリーダーになると、数多くいる息子の中でもお気に入りだったウォーレンは、父を支えるため、教会リーダーのカウンセラーという重要なポジションに就いた。ルーロンが脳卒中で倒れて寝たきりになったときは、「代弁者」としてルーロンの代理としての役割を果たすようになった。
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2024.10.02 20:00心霊「一夫多妻カルト」の指導者ウォーレン・ジョセフの狂気!のページです。モルモン教、カルト、一夫多妻、FLDS、ウォーレン・ジョセフなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで