【疾病X】WHOが警戒する「未知の病原体」とエボラ出血熱の現場にも投入されたAIシミュレーションとは

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 世界の終わりは、すでに何度もリハーサルされている。

 スイス・ジュネーブのWHO(世界保健機関)本部では年に数回、架空の感染症が国境を越えて広がるシナリオを、加盟国と関係機関が総出でロールプレイする「シミュレーション演習」が行われている。

 ボードゲーム『パンデミック』を地球規模に広げたようなその訓練は、遊びでは終わらない。直近の演習で試されたツールは、すでに現実の感染症流行の現場に投入されているというのだ。

病原体は眠らない——コロナ終息宣言の裏で膨らむ「疾病X」の影

 2023年5月5日、WHOは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がもはや「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」には当たらないと宣言した。

 ウイルス自体は今も世界を巡っているが、ワクチンが完成するまでの時間を稼いだ地球規模の封じ込めによって、人類文明が終わる事態は回避された。

 だが警戒が解けたわけではない。「コロナ」が日常語になっていく間にも、鳥インフルエンザ、エムポックス(サル痘)、デング熱、オロプーシェ熱との戦いは途切れることなく続いてきた。

 そして専門家たちがもっとも身構えているのが「疾病X(Disease X)」である。まだ人類の前に姿を現していない未知の人獣共通感染症に、あらかじめ与えられた仮の名前だ。

 WHOは大流行を起こしうる病原体の優先リストこそ持つが、疾病Xは「来ると分かっているのに正体が分からないもの」——いわゆる既知の未知のままだ。あとは都合の悪い遺伝子変異が起きるのを待つばかりである。

19世紀プロイセン軍の「兵棋演習」が、感染症対策の現場によみがえった

 病原体は眠らない。ならば、いつか必ず来るものが来る前に、迎え撃つ側が動きを体に覚え込ませておくしかない。

 そこで世界各地の感染症研究拠点が採用しているのが、パンデミック版の図上演習だ。原型は19世紀プロイセン軍の兵棋演習(クリークスシュピール)である。

 将校たちが地図の上で駒を動かして戦場の判断力を磨いた手法を、いまは一国ではなく国際社会全体の初動を鍛えるために使っている。

 WHOはこれを「シミュレーション演習」と呼ぶ。年に数回開かれ、そのたびに加盟国とパートナー機関が招かれる。狙いは意思決定・連携・初動の速さといった「備え」の各パーツに負荷をかけ、どこが軋むのかを洗い出すことだ。

 パンデミックへの備えは緊急事態対応の中核であり、演習によって現実に近い条件下でシステムがどう働くかを検証できる——WHOの担当者は取材にそう説明している。日本でおなじみの防災訓練の、地球規模版である。

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空港から広がる架空の細菌——ポラリスIIで生まれたAIがエボラの現場へ

 直近の演習「エクササイズ・ポラリスII」で設定されたのは、未知の新型細菌の出現というシナリオだ。ジュネーブの本部チームが世界各地の地域事務局を巻き込み、情報を共有しながらリアルタイムで判断を重ねていった。

 参加者たちはまず、正体不明の初期症例を国際線の移動と結びつけ、複数の感染がある大規模な交通ハブを発つ便までさかのぼれることを突き止める。そこから緊急対応システムの起動、人員配置、越境調整へと段階を進めた。

 WHOによれば、ポラリスの目的は「正解」にたどり着くことでも、各国を採点することでもない。展開の速い健康危機をリアルに再現し、圧力下でシステムがどう機能するかを試すことに主眼がある。

 想定が甘くないか、手順や連携やツールが思い通りに動かない箇所はどこか——それを無理やり表へ引きずり出すための装置なのだ。

 そして、この「ごっこ遊び」は現実に接続している。ポラリスIIでは、各国の緊急対応要員をつなぐ枠組み「グローバル健康緊急部隊(Global Health Emergency Corps)」向けAIモジュールの初期版がテストされた。

 そのAIモジュールは現在、実際のエボラ出血熱の流行対応の一部として稼働しているという。

 WHOのパンデミック計画は「予防」「備え」「対応」の三本柱で成り立つ。家畜の飼い方から薬の使い方まで、次の疾病Xの登場を遅らせる手立て自体は現実世界に無数にある。

 それでも、いつか「その日」は来る。人類が手にしている最良の武器のひとつが、架空のシナリオを大真面目に演じるロールプレイだというのは、皮肉なようでいて心強い。ただし本番で引かれるカードの中身だけは、まだ誰も見ていない。

参考:IFLScience、ほか

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