アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(1)―発足の経緯と中心人物

――「超常現象」分野に深い造詣を持つオカルト研究家・羽仁礼が歴史的UFO事件を深堀り。アーノルド事件からCBA事件までを振り返る。

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画像は「Getty Images」より

 プロジェクト・サインの時代からずっと、アメリカ空軍UFO研究機関の顧問を務めてきた天文学者ジョセフ・アレン・ハイネック(1910~1986)によるUFO目撃事案分類のひとつに、レーダーと肉眼とで同時にUFOが確認される事例がある。いわゆるレーダー・目視事例と呼ばれるものである。

 フォート・モンマス事件もこの種のレーダー・目視事例の一例である。

 こうした事例は、人間の肉眼と機械装置のレーダーとが同時にUFOを捕らえたものであることから、一般に報告の信頼性が高いと言われる。だが現実には、レーダーが捕らえたものと肉眼で目撃されたものとが別の物体であることもある。

 ともあれフォート・モンマス事件については、当時のアメリカ空軍情報部長チャールズ・P・キャベル少将(1903~1971)の耳にも入ったようだ。

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チャールズ・P・キャベル少将(画像は「Wikipedia」より)

 当時プロジェクト・グラッジは、航空資材司令部情報課(AML)から改組された空軍技術情報センター(ATIC)の一部局、技術分析課の中にある航空機及び推進機構担当の中の、空中現象調査部門と位置づけられていた。そして事実上の担当者は、ジェリー・カミングス中尉のみであった。

 つまり通常の行政組織上の編成で言うなら、係長程度の担当官一人が属するのみの弱小組織だったのだ。

 じつはキャベル少将は、UFOに関してはかなり開明的な見解の持ち主であり、サウジアラビアで自身2回UFOを目撃した経験もあった。アメリカ空軍のUFO研究機関がプロジェクト・グラッジとして再編されたときにも、重要なUFO情報は自分にも報告するよう命じていた。

 ところがそうした情報は一切彼に届かなかった。

 フォート・モンマス事件を知ったキャベル少将は、ATIC長官フランク・ダン大佐に直接連絡をとって調査を命じた。そこで、当時実質的にプロジェクト・グラッジの責任者を務めていたカミングス中尉は、9月13日、上官にあたるN・R・ローゼンガーテン中佐とともに現地に赴き、T-33を操縦していたロジャーズ中尉やレーダー操作員などから聞き取りを行った。二人は、この物体は何らかの知性にコントロールされているという印象を受けたようだ。

 キャベル少将は二人に対し、ペンタゴンにある空軍本部に赴いて直接調査結果を報告するよう求めた。カミングスとローゼンガーテンが命令に従って空軍本部に赴くと、そこには高級将校が何人も集まっており、企業代表者も交えて会議が行われていた。

 プロジェクト・グラッジの実情を知った少将は二人を叱責し、公正な態度をもって適切なUFO調査を再開するよう命じた。しかしカミングス中尉はその直後、カリフォルニア工科大学での政府プロジェクトに関わるため退官してしまった。その後任として任命されたのが、エドワード・J・ルッペルト大尉(1923~1960)だった。

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(左)エドワード・J・ルッペルト大尉(画像は「Wikipedia」より)

 ルッペルトはアイオワ州に生まれ、1942年に第二次世界大戦に召集されると、B29航空団に配属され、B29の爆撃手兼レーダー操作員としてインド、中国、太平洋を転戦、いくつもの勲章を授与された歴戦の勇士だ。戦後は大学に入り、1951年にはアイオワ大学で航空工学の学士号を得た。

 しかしその直後朝鮮戦争が始まったため軍隊に召集され、ライトパターソン空軍基地のATICに配属されていたのだ。しかも彼の部署はプロジェクト・グラッジも管轄する航空機及び推進機構担当部門であり、ローゼンガーテン中佐は彼にとっても上司であった。そしてプロジェクト・グラッジを担当するカミングス中尉の席も、ルッペルトの席のすぐ近くであり、しばしば情報の交換も行っていた。そこでローゼンガーテン中佐は、カミングス中尉退役の前日にルッペルトを後任として任命したのだ。

 以後ルッペルトは、プロジェクト・グラッジを新しく編成し直すため必要な人員の要求、予算の見積もりなど必要な関係書類を自ら起案し、新生グラッジは1951年10月27日、航空機及び推進機構担当部門から独立した一つの部局として正式に発足した。さらに1952年3月25日になって、プロジェクト・ブルーブックに名称変更された。

 当時の空軍では、この規模の独立機関は中佐レベルが責任者に任命されるのが通例であったが、最終的には大尉であるルッペルトが長官に任命された。彼の下には常駐スタッフとして将校が4人、それに2人の空軍兵士と2人の民間人が配属され、さらに外部にはプロジェクトベアと呼ばれる科学者の集団も発足した。

 さらにアメリカ中の空軍基地には、UFO目撃報告をペンタゴンと同時にプロジェクト・ブルーブックにも送る義務が課され、ブルーブックには指揮系統を通さずにアメリカ国内のあらゆる空軍基地に直接連絡する権限も与えられた。

【羽仁礼UFO史連載】
第1回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(1) 
第2回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(2)
第3回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(1)
第4回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(2)
第5回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(1)
第6回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(2)
第7回:戦前に設計された円盤形航空機「ディスコプター」とは?
第8回:UFO=宇宙人の乗り物説は日本発祥だった!?
第9回:UFO研究の先駆者ドナルド・キーホー概説
第10回:1897年「オーロラ事件」は世界初のUFO墜落事件なのか?
第11回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(1)
第12回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(2)
第13回:昭和25年の「空とぶ円盤」事情
第14回:ナチスのUFO開発史ールーマニアの発明家アンリ・コアンダ(1)
第15回:ナチスのUFO開発史ーフリーメーソンの技術者ベッルッツォ(2)
第16回:ナチスのUFO開発史ー円盤型航空機「V-7」は完成していた!?(3)
第17回:ナチスのUFO開発史ー円盤型航空機と南米ネオナチ思想の中心人物(4)
第18回:科学知識を総動員した「世界最高のUFO研究書」
第19回:米軍UFO調査機関「プロジェクト・サイン」とフォート・モンマスUFO事件

文=羽仁礼

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
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