アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(2)―1952年の“ウェイブ”とワシントン・ナショナル空港事件

――「超常現象」分野に深い造詣を持つオカルト研究家・羽仁礼が歴史的UFO事件を深堀り。アーノルド事件からCBA事件までを振り返る。

プロジェクト・ブルーブックの詳細はこちら(前回の記事)

アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(2)―1952年のウェイブとワシントン・ナショナル空港事件の画像1
画像は「Getty Images」より

 ルッペルトとプロジェクト・ブルーブックが後のUFO研究に残した影響で最大のものを挙げるとすれば、ルッペルトが謎の飛行物体の正式名称として「未確認飛行物体(UFO)」という言葉を採用したことだろう。

 ちなみに現在海外では、UFOを「ユー・エフ・オー」と区切って発音するのが一般的である。そのため英語に堪能な人の中には、「ユー・エフ・オー」が正しいと思っている者もいるようだが、この言葉を採用したルッペルト本人によれば、「ユーフォー」と発音すべきだという。

 プロジェクト・ブルーブックの体制が整い、本格的な活動を開始したのは1952年の6月初め頃だ。しかし1952年には、それ以前から1月のミッチェル空軍基地でのパイロットの目撃事件、その直後に起こったアラスカでのレーダーによるUFO捕捉事件、5月8日に発生したパンアメリカン航空機のパイロットと副操縦士によるUFO目撃と、重大なUFO事件が相次ぎ、ルッペルトもその調査に追われていた。

 さらに6月からは、UFOの目撃報告数が突如急激に増加した。

 このように特定の期間、特定の地域で一時的にUFO目撃報告が増加する現象をウェイヴと呼んでいる。同じ意味でコンセントレーションという言葉が用いられることもあるが、ルッペルト本人はこの時の状況をビッグ・フラップと呼んでいる。

 ちなみに、アーノルド事件が起こった1947年にも、このウェイヴが発生していたといわれるが、1952年のものは一層規模が大きかったようだ。ルッペルトによれば1947年から4年間に空軍が受けたUFO報告は615件であったが、1952年には6月だけで149件の報告が寄せられ、ウェイヴ中の報告総数は717件だという。

 そしてルッペルトのいうビッグ・フラップが始まったのは、その年の6月1日だという。

 その日ルッペルトは、ロサンゼルスで、UFOがレーダーで捕捉されたという事件の報告を受けた。

 これは、ロサンゼルスにあるヒューズエアクラフト社で技術者たちが最新型レーダーのテストに備えて機器の点検をしていたところ、レーダーが謎の飛行物体を捕らえたというものだ。

 以後プロジェクト・ブルーブックに寄せられるUFO報告は急速に増え続け、1日20件から30件もの通報が寄せられるようになった。7月初旬には少し落ち着いたが、すぐにまた増加し、時には40件ものUFO報告を受け取る日もあった。

 ルッペルトも含めたスタッフはこうした事件の調査に追われ、日曜以外毎日14時間働く日々だったという。

 こうした中、アメリカ全土を揺るがすことになるUFO史上に残る歴史的な大事件が発生する。いわゆるワシントン・ナショナル空港事件(ワシントンUFO乱舞事件)である。

アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(2)―1952年のウェイブとワシントン・ナショナル空港事件の画像2
画像は「Getty Images」より

 ワシントン・ナショナル空港(現在はロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港)は、地理的にはワシントンDCの西隣にあるバージニア州に位置するが、アメリカ大統領官邸であるホワイトハウスや、国会議事堂からほんの数キロという場所にある。

 1951年7月19日、この空港のレーダー上に、謎の飛行物体が突然姿を表したのだ。

 この日の午後11時40分、空港の管制センターにいた管制官は、レーダー上に8つの謎の物体を見つけた。物体は、時速160キロから208キロという、航空機にしては低速で飛び回っていたが、一カ所に停止したり、突然急上昇したり下降するなど、通常の航空機とは思えない行動を示していた。

 彼はすぐに他の管制官を呼んで意見を求めたが、同僚たちもそれが飛行機ではないと認めた。さらにレーダーの故障という可能性も疑い、すぐに点検を行ったが、レーダーには何も異常なかった。

 物体の位置は、空港から東方にあるアンドルーズ空軍基地の南部から東部に広がっていたので、そちらにも連絡したところ、基地のレーダーも謎の物体を捕捉していた。

 日付の変わった20日の0時5分には、キャピタル航空の航空機が離陸しようとしていたので、管制官は異常な光が見えたら連絡するよう頼んだ。するとパイロットは離陸後、右手前方の遠くに光点をひとつ確認した。

 さらに2時間後、南方から接近してきた他のパイロットが謎の光点を目撃、レーダーでもこの旅客機と、もうひとつ謎の目標とが確認できた。

 夜明け頃になってやっと、F-94戦闘機が現場に到着したが物体は消え去っていた。

 同じようなことが7月26日夜にも繰り返された。

 この事件については、レーダーの光点は気温逆転層の反射により、地上にある別の目標が捕らえられたものであり、民間機パイロットが目撃した光点は星など別のものだという説明がなされることがある。だが関係者から状況を聴取したルッペルトはこの意見に反対であり、物体は識別不能、つまり未確認という結論を下している。

 なお、この事件に関連してアメリカ国会議事堂の背後にいくつもの光点が映っている写真がしばしば紹介されるが、これは別の日に撮影されたものであり、光点は地上のサーチライトが上空の大気に反射したものである。

【羽仁礼UFO史連載】
第1回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(1) 
第2回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(2)
第3回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(1)
第4回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(2)
第5回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(1)
第6回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(2)
第7回:戦前に設計された円盤形航空機「ディスコプター」とは?
第8回:UFO=宇宙人の乗り物説は日本発祥だった!?
第9回:UFO研究の先駆者ドナルド・キーホー概説
第10回:1897年「オーロラ事件」は世界初のUFO墜落事件なのか?
第11回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(1)
第12回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(2)
第13回:昭和25年の「空とぶ円盤」事情
第14回:ナチスのUFO開発史ールーマニアの発明家アンリ・コアンダ(1)
第15回:ナチスのUFO開発史ーフリーメーソンの技術者ベッルッツォ(2)
第16回:ナチスのUFO開発史ー円盤型航空機「V-7」は完成していた!?(3)
第17回:ナチスのUFO開発史ー円盤型航空機と南米ネオナチ思想の中心人物(4)
第18回:科学知識を総動員した「世界最高のUFO研究書」
第19回:米軍UFO調査機関「プロジェクト・サイン」とフォート・モンマスUFO事件
第20回:アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(1)

文=羽仁礼

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
羽仁礼名義の書籍一覧
Facebook

羽仁礼の記事一覧はこちら

※ 本記事の内容を無断で転載・動画化し、YouTubeやブログなどにアップロードすることを固く禁じます。

人気連載

“包帯だらけで笑いながら走り回るピエロ”を目撃した結果…【うえまつそうの連載:島流し奇譚】

“包帯だらけで笑いながら走り回るピエロ”を目撃した結果…【うえまつそうの連載:島流し奇譚】

現役の体育教師にしてありがながら、ベーシスト、そして怪談師の一面もあわせもつ、う...

2024.10.02 20:00心霊

アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(2)―1952年の“ウェイブ”とワシントン・ナショナル空港事件のページです。などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで