宇宙人と世界で初めて会見したジョージ・アダムスキー(3) UFOに搭乗

――「超常現象」分野に深い造詣を持つオカルト研究家・羽仁礼が歴史的UFO事件を深堀り。アーノルド事件からCBA事件までを振り返る。

 会見の最後に、宇宙人が手振りで一緒に来るよう示したので、アダムスキーは一緒にUFOに近づいた。宇宙船の材質はガラス質のように見えたが金属であり、半透明ではあったが内部は見えなかった。ただ一瞬だけ、美しい顔の人間が機体から首を出した。宇宙人はもう一人いたのだ。

 宇宙人はUFOから30センチ以上離れた位置で足を止め、アダムスキーにも近寄らないよう注意したが、アダムスキーは惰性で1、2歩踏み出してしまった。そこで相手に話しかけようとして振り向いた時、右肩が痺れるのを感じて慌てて飛びすさった。

 右腕は動かすことはできたが、ほとんど感覚が麻痺していた。宇宙人は大変申し訳なさそうな様子を示し、時間が経てば自然によくなるということを身振りで示した。どうやら、UFOの周囲にあるフォースフィールドに触れたらしい。

 このときアダムスキーは右胸のポケットに入れていた撮影済のフィルムが影響を受けたのではないかと気になって、それを取り出して反対側のポケットにしまいなおした。すると宇宙人が手を差し伸べた。どうやらフィルムを見せるということらしい。アダムスキーがフィルムの束を差し出すと、彼は一番上の一枚手にとり、後で返すという意味の動作をした。

宇宙人と世界で初めて会見したジョージ・アダムスキー(3) UFOに搭乗の画像1
画像は「Getty Images」より

 最後にアダムスキーは、自分も一緒にUFOに乗せてくれないかと頼んだが、相手は首を振り、ひとりで機体下部のスカートの部分を登った。するとUFOは彼を外に乗せたまま機体が浮き上がり、わずかに機体が傾いて、機体の中央に小さなドアが開いた。宇宙人の姿が中に消えると、ドアは自動的に閉まった。その時、アダムスキーは、内部から搭乗員の話し声を聞いた。

 UFOは上昇を続け、速度を増し、山の峰の間から上空に消えた。

 この、アダムスキーと金星人との会見の模様は、少し離れた場所にいたベイリー夫妻とウィリアムソン夫妻、そしてアダムスキーの2人の弟子アリス・ウェルズとルーシー・マクギネスも目撃していた。遠くから双眼鏡で目撃していたアリス・ウェルズは、宇宙人の姿をスケッチした。ウィリアムソンは、石膏で金星人の足跡を取った。

 会見後3週間ほど過ぎた12月13日の朝9時頃、アダムスキーが空を見ていると、UFOがこちらに向かって飛んで来た。それが30メートルほどの距離まで接近すると、UFOの円い窓が開いて手が差し出され、小さな物体が投下された。近づいて拾ってみるとそれは、11月20日にアダムスキーが宇宙人に渡したフィルムだった。現像してみると本来の画像はなく、奇妙な図形や文字のようなものが映っていた。この図形はその後アダムスキー宇宙文字として知られるようになった。

 またこのときアダムスキーは、有名な2枚のUFO写真も撮影している。

 アダムスキーは、1952年におけるこうした一連の出来事を、翌年、イギリスのデズモンド・モスリー(1921~2001)との共著『空飛ぶ円盤実見記』で公表した。

 レスリーはイギリスのUFO研究家で、不思議な飛行物体に関する古代の記録類に興味を持っていた。そこで『空飛ぶ円盤実見記』も、前半の3分の2ほどは、古代インドのヴィマーナやアーノルド事件以前のUFO目撃記録を集めたレスリーの研究で、アダムスキーの体験談は後半の3分の1ほどである。

 出版に際しては、レスリーと出版社がアダムスキーの会見を知り、出版社がその体験の詳細を求めたためアダムスキーが原稿を送ったという経緯があるようだ。

 この著書は大きな反響を呼び、世界的なベストセラーとなった。

 アダムスキーと宇宙人の会見は、翌年も続く。

 1953年には、アダムスキーは前年会見した金星人の他、火星人や土星人と一緒に何度かUFOに同乗し、母船内で宇宙人の指導者と会見したり、月を近くから眺めたりした。

 さらに1954年8月23日には月の裏側の模様を観察したという。すると月の裏側には都市があり、道路を歩いている人々の姿も見えたという。

 アダムスキーはこうした新しい経験を、1955年に出版した『空飛ぶ円盤同乗記』で述べている。

 この2冊の著書により、アダムスキーの名は世界的に知られるようになり、多くの国に信奉者を得た。彼はこうした支持者たちに、宇宙人から授けられたという宇宙哲学なるものを説き、1959年1月から6月にかけては、ニュージーランド、オーストラリア、イギリス、オランダ、スイスなどに講演旅行に出かけている。このときオランダでは、ユリアナ女王(1909~2004)とも会見している。このときは日本訪問の可能性も打診されたが、日本の支持者たちは資金不足のため招聘を諦めたという。

 なお、アダムスキーは1963年には当時のローマ教皇とも会見したと主張しているが、この事実は確認されていない。

【羽仁礼UFO史連載】
第1回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(1) 
第2回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(2)
第3回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(1)
第4回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(2)
第5回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(1)
第6回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(2)
第7回:戦前に設計された円盤形航空機「ディスコプター」とは?
第8回:UFO=宇宙人の乗り物説は日本発祥だった!?
第9回:UFO研究の先駆者ドナルド・キーホー概説
第10回:1897年「オーロラ事件」は世界初のUFO墜落事件なのか?
第11回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(1)
第12回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(2)
第13回:昭和25年の「空とぶ円盤」事情
第14回:ナチスのUFO開発史ールーマニアの発明家アンリ・コアンダ(1)
第15回:ナチスのUFO開発史ーフリーメーソンの技術者ベッルッツォ(2)
第16回:ナチスのUFO開発史ー円盤型航空機「V-7」は完成していた!?(3)
第17回:ナチスのUFO開発史ー円盤型航空機と南米ネオナチ思想の中心人物(4)
第18回:科学知識を総動員した「世界最高のUFO研究書」
第19回:米軍UFO調査機関「プロジェクト・サイン」とフォート・モンマスUFO事件
第20回:アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(1)
第21回:アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(2)
第22回:アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(3)
第23回:50年代のUFO研究団体「空中現象調査機構(APRO)」とは?
第24回:世界的UFO事件「羽田空軍基地事件」とは?
第25回:宇宙人と世界で初めて会見したジョージ・アダムスキー(1)
第26回:宇宙人と世界で初めて会見したジョージ・アダムスキー(2)

文=羽仁礼

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
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