宇宙人と世界で初めて会見したジョージ・アダムスキー(1) UFOとの遭遇

――「超常現象」分野に深い造詣を持つオカルト研究家・羽仁礼が歴史的UFO事件を深堀り。アーノルド事件からCBA事件までを振り返る。

 UFOに乗って地球を訪れた宇宙人と会見したことを、世界で初めて公表したのがジョージ・アダムスキー(1891~1965)である。

 彼はポーランドに生まれたが、両親は彼が2歳になる前にアメリカに移住した。生活は楽ではなかったようで、そのため高等教育は受けられなかったらしい。

 成長したアダムスキーは、1913年から1916年まで第13騎兵連隊に所属し、メキシコ国境に配属されていた。

宇宙人と世界で初めて会見したジョージ・アダムスキー(1)  UFOとの遭遇の画像1
ジョージ・アダムスキー(画像は「Getty Images」より)

 ちょうどこの時期、メキシコではビクトリアーノ・ウエルタ将軍(1850~1916)のクーデターに端を発する政治的混乱が続いており、1916年3月9日には、メキシコの革命家パンチョ・ビリャ(1878~1923)が国境を越えて、ニューメキシコ州コロンバスにあった第13騎兵連隊御駐屯地を襲撃する事件も起こっている。ただ、アダムスキーが事件に巻きこまれたかどうかは明らかでない。

 ともあれアダムスキーは、1916年には軍を退役し、以後イエローストーン国立公園の管理人、塗装業者や製粉業者、コンクリート工場の労働者など職を転々としたようだ。

 その間独自の神秘主義思想を構想したようで、1930年頃にはカリフォルニア州ラグナビーチで王立チベット教団なる団体を設立し、独自の教義を教え始めた。

 1940年には友人数人と、パロマー天文台のあるカリフォルニア州パロマー山に移住した。この場所には、アダムスキーの神秘学講座を受講していたアリス・ウェルズが土地を持っており、アダムスキーはここをパロマー・ガーデンと名づけ、ウェルズが経営するカフェを手伝いながら、神秘主義哲学を教えていた。

 そのかたわら、弟子に寄贈された天体望遠鏡で宇宙の観測も始めた。

 彼自身の証言によれば、最初にUFOを目撃したのは1946年10月9日のことであった。

 彼はこの日の夜、流星を観測した後に謎の飛行物体がパロマー山の南の尾根の上に出現し、サン・ディエゴ方面に向かって飛行していくのを目撃した。アダムスキーはこのとき、飛行物体について特に気にすることはなかったというが、家に戻ってサン・ディエゴ放送局の気象情報を聞こうとラジオのスイッチをひねると、大きな葉巻状の飛行船がサン・ディエゴ上空に飛翔したとして、騒ぎになっていることを知った。

 アダムスキーがUFOについて認識したのはこのときらしい。

 彼はその後何度もUFOを目撃するようになり、何枚もの写真撮影に成功した。彼の活動が地元紙に掲載されたことも、何度かあるようだ。

 1952年になると、彼はUFOを探し求め、UFOが目撃されたとか、着陸するところだったらしいと聞いた砂漠地帯を頻繁に訪れるようになっていた。

 そんなとき、アダムスキーに連絡が知り合ったのが、アルフレッド・ベイリーとベティ・ベイリーの夫妻だった。夫妻は1952年8月、友人のジョージ・ハント・ウィリアムソン夫妻を伴ってアダムスキーを尋ねた。

 UFOに興味を持つ者同士として彼らは意気投合したらしく、2組のカップルはその後もアダムスキーの許を訪れた。このとき彼らは、アダムスキーが砂漠でUFOを観測する機会があれば、自分たちも誘って欲しいと言い残して去っていった。

 そして11月20日、アダムスキーはアリス・ウェルズともう1人の弟子ルーシー・マクギニスを伴ってモハーベ砂漠を訪れることとし、ウィリアムソン夫妻とベイリー夫妻もこれに合流した。

 一行は徒歩で砂漠を散策したり昼食を摂ったりしていたが、正午を少し過ぎた頃、近くの山の尾根の上空に巨大な葉巻型の物体が浮かんでいるのを全員が目撃した。

 この飛行物体を見たアダムスキーは、これが自分とコンタクトするためにやって来たと直感し、適当な場所を求めてルーシーに車を運転させて、アルフレッド・ベイリーを連れて砂漠を移動した。葉巻型の飛行物体は車が動き出すと同時に方向を変えて移動し始めた。

 アダムスキーはコンタクトにふさわしいと直感した場所で車を停め、そこで望遠鏡を組み立てた。それから同行した2人に対し、他の者たちのところに引き返して全員で自分の動きを見守り、1時間たったら迎えに来るよう述べた。

 車が発進すると、宇宙船も視界から消えた。それから5分過ぎると、アダムスキーから800メートル離れた山頂に、小型のUFOが出現した。アダムスキーは望遠鏡越しにこのUFOを撮影し、そのネガホルダーを上着のポケットに入れた。

 そうしていると2機の飛行機が飛来した。するとUFOはこの飛行機から逃れるかのように姿を消した。アダムスキーは周辺の地形をカメラに収めてから辺りを見渡した。すると、400メートルほど先にある、2つの低い丘の間にある谷の入口に、見知らぬ男が一人立っていた。

【羽仁礼UFO史連載】
第1回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(1) 
第2回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(2)
第3回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(1)
第4回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(2)
第5回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(1)
第6回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(2)
第7回:戦前に設計された円盤形航空機「ディスコプター」とは?
第8回:UFO=宇宙人の乗り物説は日本発祥だった!?
第9回:UFO研究の先駆者ドナルド・キーホー概説
第10回:1897年「オーロラ事件」は世界初のUFO墜落事件なのか?
第11回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(1)
第12回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(2)
第13回:昭和25年の「空とぶ円盤」事情
第14回:ナチスのUFO開発史ールーマニアの発明家アンリ・コアンダ(1)
第15回:ナチスのUFO開発史ーフリーメーソンの技術者ベッルッツォ(2)
第16回:ナチスのUFO開発史ー円盤型航空機「V-7」は完成していた!?(3)
第17回:ナチスのUFO開発史ー円盤型航空機と南米ネオナチ思想の中心人物(4)
第18回:科学知識を総動員した「世界最高のUFO研究書」
第19回:米軍UFO調査機関「プロジェクト・サイン」とフォート・モンマスUFO事件
第20回:アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(1)
第21回:アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(2)
第22回:アメリカ空軍の極秘UFO研究「プロジェクト・ブルーブック」解説(3)
第23回:50年代のUFO研究団体「空中現象調査機構(APRO)」とは?
第24回:世界的UFO事件「羽田空軍基地事件」とは?

文=羽仁礼

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
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